7き「すべての道はローマに通ず」っていう言葉があるねっ!元総社町のあたりまで舟が使われていたということだね 道は、人間の歴史とともにはじまり、世界中で今日まで私たちのくらしを支え続けてきた。 道には、地域の細い生活道路から地域間を結ぶ太い幹線道路まで、さまざまな人やモノを運ぶ「交通」の役割がある。そして、人や物を介して、文化や技術を伝えてゆく役割 日本列島全体をつなぐ広域的な道は、古代の国づくりとともに整備された。ヤマト王権は、各地の豪族とのネットワークを形成するために、人・物・文化などを介して積極的な交流を展開した。 群馬県で古墳時代のはじまりの頃に発達したのは、「川の道」だ。群馬県で古墳文化が栄え始める背景には、東海地方からの人々の移住や技術の導入による平野部の開発もある。 道の種類は、「陸の道」だけでなく、「海の道」や「川の道」、現代では「空の道」もある。ごうぞくないがある。昔の利根川は東京湾に流れ出ていたため、おそらく太平洋から利根川をさかのぼってやってきたものと思われる。利根川は、東国における産業・交通を支えた大動脈だったのだ。 その後、5世紀初め頃までに朝鮮半島から伝わった馬文化(乗馬と生産)は、5世紀後半には群馬県にも伝わった。馬は、軍事・輸送・農耕などの手段としてたいへん貴重であり、その普及とともに陸上交通が重視され、山や川を越えていく「陸の道」が整備されていったのであろう。畿内から見ると群馬県は、東国、そして、広大な関東平野の入口にあたる交通の要地だったのだ。 このように、群馬県は水・陸の道が交わる地理的な特色を持っていて、先進的な技術や文化がいち早く伝えられた。これが古代東国文化の中心として栄えた群馬県を生み出したのである。…陸のルート…海のルート畿内東海西部相模湾・東京湾沿岸部上毛野第1章 古墳県ぐんまを探検する13▲ 古代ローマの道(オスティエンセ街道)▲ ヤマト王権と東国との交流▲ 馬に乗る盛装男子 (伊勢崎市、雷電神社跡古墳)▲ 利根川(利根川大堰)▲ 陸の道(入山峠)▲ 舟形木製品(前橋市、元総社寺田遺跡跡)道の役割古代の道と群馬県川の道から陸の道へ
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