8お 令和2年3月に、国の文化審議会から答申があり、同年9月に、群馬県に新たな国宝が誕生した。新たに国宝となったのは綿貫観音山古墳(P.49)から出土した全ての埴輪と副葬品(総数3,346点)。その全国トップクラスの質と量に加え、国内屈指の高い歴史的価値が評価された。色豊かな副葬品が多数発見された。 古墳に眠る王は、財力、政治力があり、外交に積極的だったことが伺える。銅水瓶などの副葬品は朝鮮半島や中国大陸から同タイプのものが見つかっており、大陸との交流を示す貴重な資料となっている。子を表したものと言われている。左が王様で、右の2体は巫女、中央の埴輪「三人童女」は弦楽器を奏でている。どれも高さが1m以上あって、精巧に作られた一級品の埴輪である。また、「三人童女」は、台の上に3人が乗る非常に珍しいもので、国内唯一の埴輪である。この他み とうくつくっ しどうすいびょうさんにんどうじょとうしんぎ しきかなせいこうにも、古墳の前方部には、武人や武具、馬の埴輪の列があり、古墳に眠る王の武力や財力を示すものとなっている。 文化財は国民共有の財産じゃから、未来の人に歴史をリレーするために、できるだけ良い状態でとどめることと、やむを得ず壊さなければならない場合は、きちんと調査して記録を伝えること、というルールによって公的に守らなければならん。 群馬県の公的な文化財保護の動きは、江戸時代にすでに始まっていて、明治時代に初代の群馬県令(今の県知事)となった楫取素彦は、主要な古墳や上野三碑の保存整備を推し進めたのじゃ。そして、1938年には「上毛古墳綜覧」という報告書が作られたのじゃ。この結果、群馬の古墳は総数、大きさ、副葬品など、すべての面で東国では抜きん出ていることが証明されたのじゃ。 戦後の1950〜1960年代は、群馬大学の尾崎喜左雄教授を中心として、群馬の古墳研究が大きく発展したぞ。そして、1970年代には文化財の保護を主導するため県や市町村に「文化財保護課(係)」が次々と設置され、1990年代になると、学習や普及に活用する動きが盛んになったぞ。 そして、2012年からは、約80年ぶりに群馬の古墳の総合調査が行われ、「群馬県古墳総覧」が作られたのじゃ。その結果、かつて13,000基以上もの古墳があり、現在でも約2,000基の古墳があることが確認されたぞ。君たちにもぜひ、群馬の古墳のことをもっともっと知ってほしいものじゃ。第1章 古墳県ぐんまを探検する じょうもう こ ふんそうらんか とりもとひこぐん ま けん こ ふんそうらんこうずけさんぴお ざき き さ 14▲ 副葬品(高崎市、綿貫観音山古墳)▲綿貫観音山古墳(高崎市)▲ 埴輪群像(高崎市、綿貫観音山古墳)わたぬきかんのんやま大陸との交流を示す、きらびやかな副葬品! 未盗掘の石室からは、武器や馬具、装身具など、国際儀式を表す美術品のような埴輪群! 右上の埴輪群像は、王様が生前に行っていた儀式の様【文化財の保護と活用】の巻群馬県綿貫観音山古墳出土品新たな国宝誕生!
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