埴輪というと、当時、政治経済の中心であった近畿地方に多いように思われるが、実は、そこから遠く離れた群馬県の地で盛んに作られ、その圧倒的な質と量の多さから、群馬県は日本一の埴輪県として知られている。なぜそのように呼ばれるのか?て独自のルールに基づき多くの埴輪を並べていった。こうして大量の埴輪を作る技術者集団が育ち、細部まで表現された質の高い埴輪を生産していたと考えられている。 6世紀後半になると、全国的には前方後円墳や埴輪があまり作られなくなったが、関東地方では、埴輪の生産が大変盛んになった。 また、群馬では大型の古墳はもちろん、小さな古墳も含め、埴輪が並べられた古墳が非常に多いのが特徴で(推定約2,000基)、たくさんの埴輪が出土している 。ちくぞう 令和2年、群馬県に新たな国宝が誕生した!国宝に指定されたのは、群馬県立歴史博物館で展示されている、綿貫観音山古墳(P.49)から出土した全ての埴輪と副葬品だ。 きらびやかな副葬品とともに、美術品のような埴輪群が高く評価された。高さが1m以上あるものも多く、精巧に作られていて、王の墓にふさわしい一級品の埴輪だ。挂甲の武人(太田市)▶けいこう第2章 日本一の埴輪王国ぐんまを探検する▲ 保渡田八幡塚古墳(高崎市)16◀ 神保下條2号古墳 (高崎市)の模型小規模古墳ながら、人物、馬、家、武器など、多種多様な埴輪が並んでいる。綿貫観音山古墳出土の埴輪 ▶(高崎市) 国宝及び国指定重要文化財に指定されている埴輪のうち約4割が群馬県から出土している。 群馬では、勢力を持った豪族が、古墳の築造に合わせ【はじめての国宝埴輪は群馬産!】 はじめて国宝に指定された埴輪が、群馬県太田市から出土した「挂甲の武人」であることを知っているかな?武人埴輪の全身像で、高さは1.31mあり、6世紀後半に造られた非常に精巧な埴輪だ。甲冑を身にまとい、大刀と弓を持っている。 同じような埴輪は、県東部を中心に複数出土していて、国指定重要文化財となっているものもあるが、その中でも、この武人埴輪は特に細部まで丁寧に表現され、美術的にも評価が高いものである。質の高さが日本一!数の多さも圧倒的!国宝埴輪が群馬に!ぐんまは埴輪王国!?2
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