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なるほどっすげがさ菅笠形など、実に様々な形の帽子をかぶっている。帽子は単にファッションアイテムというよりは、身分を表す役割があったようで、帽子だけの埴輪も出土している。様々なバリエーションがある。古墳の名前にもなっている山王金冠塚古墳(P.51)からは、非常に精巧な金銅製の冠が出土している。せいこうこんどうせいはなく、男性もしていて、非常に大胆に塗られている。主に儀式の際にするものだったようだ。色は鉄さびを使った赤色が中心で、白や黒も使われた。ぬすいはつ第2章 日本一の埴輪王国ぐんまを探検する▲ 金銅製冠:復元  (前橋市、  山王金冠塚古墳)20▲ 鷹匠埴輪 (太田市、オクマン山古墳)▲ 菅笠をかぶる男子 (伊勢崎市、多田山古墳群4号墳)▲ あぐらをかく王(高崎市、保渡田Ⅶ遺跡)たかじょう▲ 帽子をかぶる男子 (高崎市、中原1号古墳)▲ 盾持ち人埴輪 (高崎市、太子塚古墳)▲ 盛装男子埴輪 (高崎市八幡原町)▲ 倚坐の女子 (太田市、塚■り  古墳群第3号古墳)い ざ④ 帽子  古墳時代の男子は、丸みのあるものや、とがったもの、⑤ 冠  冠は身分の高い男子の被り物で、王冠形や二山形など、⑥ メイク  埴輪を見ると、古墳時代はメイクは女性だけのもので【おしゃれは変化する】の巻 縄文時代から、形を変えながら使われ続けてきたアクセサリーは、平安時代中期以降、戦国時代に女性がくし櫛やかんざしを使用するようになると使われなくなったのじゃ。 とりわけ、男性が使用したアクセサリーは、飛鳥時代に役人の公式の場における制服が決められると、プライベートな場でもほとんど使われなくなったのじゃ。平安時代中期以降、女性もアクセサリーを使わなくなるのじゃが、それは女性の髪型が垂髪になり、服装も和風に変化したためと考えられるぞ。この頃からわが国では、アクセサリーを使わなくなったのじゃが、これはわが国独自の習慣で、中国や朝鮮半島では、男女ともにずっと使用されておったそうじゃ。ちなみに、わが国で男性がアクセサリーの使用を再開するのは、飛鳥時代から1,400年後の現代になってからじゃぞ。

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