このように、多くの放牧地で馬が飼育され、馬の生産が盛んであったという事実と、財力や権威の象徴であった「馬」の豊かなイメージは、後の「群馬」の名前の由来にもなったといわれている。 埴輪の作られた目的は「被葬者の生前の活躍ぶりや財力の誇示」であるので、当時最先端の特別な動物だった馬の埴輪は古墳に欠かせない存在とされた。 さらに当時の群馬の地域は、全国屈指の馬の生産地域であったので、数多くの馬形埴輪が並べられたというわけだ。 馬形埴輪を見ると、きらびやかな金具や鈴など、たくさんの飾りを身につけていたことがわかる。実際に古墳から出土した馬の飾りにもそうしたものが多く、当時貴重だった馬が目立つよう、目いっぱい飾り立て、それらをキラキラ光らせながら儀式に参加させていたことがわかる。ひ そうしゃ 馬具は、本来人が乗るために馬の各所に装着するもので、轡や手綱、鞍など、本来は実用性の高い道具であるが、古墳からは、埴輪で表現されたような、様々な装飾を施した馬具が、被葬者の傍らに添えられた。 古墳における副葬品とは、「被葬者が来世に向かう時に添える厳選された品々」であるので、このラインナップに馬具が加わることは、馬具が特別な存在であることがわかる。た づなくらそれも高級外車って感じかなエッヘン!よろい第2章 日本一の埴輪王国ぐんまを探検する25▲ 轡(高崎市、綿貫観音山古墳)▲ 馬形埴輪 (高崎市、神保下條遺跡1号古墳)くつわわたぬきかんのんやま▲ 馬形埴輪 (前橋市、白藤P-6号墳) 飾り馬のイメージ ▶◀ 盛装した人が乗る馬埴輪 (伊勢崎市、雷電神社跡古墳)◀ 馬形埴輪(渋川市、 津久田甲子塚古墳)【バラエティ豊かな馬形埴輪】 たくさんの馬が飼育され馬が身近な存在であった群馬県では、飾り馬のほかに、鞍をつけない裸馬や人を背中に乗せた馬など、様々な姿の馬形埴輪が出土しているのじゃ。 人が乗った馬形埴輪は、全国で20例ほどしかない珍しいもので、さらに左下の埴輪のように盛装した人が乗った埴輪は群馬県に2体あるだけじゃ。埴輪から、威風堂々とした姿で儀式に加わる様子が想像できるぞ。 一方で、右下の埴輪はコロンとしたとても可愛らしい姿をしているぞ。6世紀前半に作られたもので、高さ38cmほどしかなく、県内でもこれほど小さい馬形埴輪は珍しいのじゃ。素朴な造形じゃが、乗馬用の鞍や鐙が取り付けられており、仔馬というわけでもないようじゃ。馬形埴輪が多い理由自慢の馬を目立たせたい!きらびやかな馬具
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