6世紀4世紀Point1Point2いししきみず ばよ すみそで つき ろMAPや ぜ しんすいこうえん矢瀬親水公園 MAPP.66 B-5P.66 B-5 水が湧き出ている場所を掘って、そのまわりを石で囲った水場が作られている。水場からはトチの実やオニグルミなどが大量に出土したことから、あく抜きをする水さらし場とも考えられている。また、木の実をすりつぶすための石皿も一緒に出ている。ここで縄文クッキーなどを作っていたのだろうか。 まつりの場は、集落の中央にあり、丸太や縦半分に割った巨大な柱を何本も並べて立てている。石敷は南北に長く並べられ、北側に大きな3つの石が立てられ、南側に漢字の「目」の形に石が組まれている。いしざら【 遺跡全景 】さいだんいしじきつき よ の旧石器時代発見されているぞ!それぞれの意見を出し合ってみよう。縄文時代弥生時代古墳時代5世紀【 祭壇石敷の復元 】【 1号住居の復元(草壁立ち、片入母屋型) 】【 1号住居の復元(草壁立ち、片入母屋型) 】【 1号住居の復元(草壁立ち、片入母屋型) 】【 1号住居の復元(草壁立ち、片入母屋型) 】飛鳥時代7世紀奈良時代所在地利根郡みなかみ町月夜野下矢瀬関連施設や ぜ い せき 利根郡みなかみ町月夜野にある、今から3,500〜2,300年前(縄文時代後期〜晩期)の集落遺跡で、利根川に面した高台にある。集落の中央にまつりを行った場所と水場があり、そのとなりにはお墓が作られ、さらにそれらのまわりに住居が広がっている。これらがまとまって発見されたため、当時の集落の構造がよくわかり、自然や祖先を大切にした縄文人たちの暮らしぶりをみることができる遺跡として有名である。 現在は矢瀬親水公園として整備され、住居や高床建物のほか、まつりの場に巨木柱などが復元され、四隅袖付炉・石敷・水場も展示されている。【国】みず ば 第4章 群馬の代表的な史跡 〜 繁栄した東国文化 〜30動画考えてみよう!縄文時代の遺跡や植物の分布から、当時の気候を考えてみようヒント「鶴舞う形」の頭の方、館林市や板倉町では、貝塚が縄文人が一番恐れた自然災害(地震・雷・大雨・日照り・噴火など)を考えてみようヒントみんなが一番嫌なものは何かな?水場まつりの場矢瀬遺跡02
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