ホントだ!歩いている足跡だっ!6世紀4世紀PointPointPoint123かんごうえんけいひ だかしゅうこう ぼP.65 D-2P.64 B-2 日高遺跡の水田は、自然の谷地形を利用してつくられた。水田区画の形や大きさはさまざまで、現代の水田と比べると大きく様子が異なる。この水田では、少なくとも2品種の米がつくられていたことが科学分析により明らかになった。 弥生時代の終わり頃の日高遺跡の集落は環壕(堀)と土塁で囲まれていた。環壕は断面がV字形で、外周は約400mあった。環壕の必要性には諸説あるが、日高遺跡では外敵や動物の侵入を防ぐ効果があったと考えられている。 日高遺跡の集落の東側では、埋葬施設を円形の溝(周溝)で取り囲んだ円形周溝墓と呼ばれる墓が発見された。周溝には、乳幼児用の棺(土器棺)が納められていた。【 現在の日高遺跡 】旧石器時代【 弥生時代のムラのイメージ】縄文時代弥生時代古墳時代5世紀高崎市日高町高畑前31-2 ほかMAP群馬県埋蔵文化財調査センター発掘情報館 ほかMAP【 足跡 】【 乳幼児用の棺 】飛鳥時代7世紀奈良時代【 水田跡 】【 環濠 】所在地関連施設ひ だか い せき 高崎市日高町・中尾町にある、今から1800〜1700年前(弥生時代後期〜古墳時代初頭)の遺跡で、水田、環壕集落、墓地が一体的に保存されている。日高遺跡の発見によって、弥生時代の群馬県に稲作が伝わっていたことが初めて明らかになった。3世紀末に大噴火した浅間山の軽石を丁寧に取り除いていくと、当時の水田が、人の足跡までそのままの形で姿を現した。群馬県における考古学研究で、火山灰・軽石の地層が注目されるきっかけとなった遺跡である。 高崎市が集落景観を復元するための整備を進めており、2015(平成27)年には、県内初の弥生時代の史跡公園として一部分が公開され、県民の憩いの場となっている。水田円形周溝墓環濠集落【国】第4章 群馬の代表的な史跡 〜 繁栄した東国文化 〜33日高遺跡の水田環壕円形周溝墓動画日高遺跡05
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