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6世紀4世紀Point1Point2Point3はっくつかく槨(木製の棺の周囲を厚く粘土で覆った施設)という、埋葬施設が出てふんきゅうひつぎふくそうひんおおまいそうさんかくぶちしんじゅうきょうつぼがたねん ど さんかくぶちしんじゅうきょう前橋市広瀬町1-27-7MAPP.64 C-3 前橋天神山古墳は、①前方部が後円部より低い ②埴輪以前の壺形土器でまつりを行っている ③埋葬部や副葬品の特徴などから、4世紀前半という東日本では一番古い時期に造られたとされる。 出土した鏡は、周縁断面が三角形状で、裏面の内側に神と獣の像を描く特別な鏡。邪馬台国の女王卑弥呼が中国から賜ったとされる銅鏡と関係を持つ型で作られており、畿内との強い結びつきを示している。 墳丘の大部分は削られ、埋葬施設を中心に地上9mに四角く残されている。その無残な姿が、団地造成という開発の波の中で、価値ある古墳の主体部だけでも残そうとした関係者の思いを伝える。しゅうえんけものたまわき ない【 古墳の現状(南東から) 】【 発掘された粘土槨 】ねん ど かく所在地まえ ばし てん じん やま こ ふん 前橋市広瀬町にある、4世紀頃(古墳時代前期)の前方後円墳。朝倉・広瀬両団地のほぼ中央に位置し、1968〜69年(昭和43〜44年)に発掘調査された。墳丘は3段に築かれ、全長129m、前方部は幅68m、高さ7m、後円部は直径75m、高さ9m。後円部から長さ約8mの粘土きた。副葬品として銅鏡5枚のほか、当時はまだ珍しかった鉄製の武器や工具が出土した。銅鏡のうち2枚は、「三角縁神獣鏡」という特殊な形の鏡で、奈良県で100枚、京都府で66枚など西日本で多く出土するが、東日本では群馬県の12枚が最高で、他地域では数枚程度だ。 また、墳丘の頂上からは赤く塗られた壺形の土器が並んで出土した。これは埴輪が作られる前の、古墳のまつりに関する道具であると考えられている。うえ、体は横向きに描かれている。【県】34旧石器時代縄文時代弥生時代古墳時代5世紀飛鳥時代7世紀奈良時代マメ東日本最古級三角縁神獣鏡とは?残っているのはわずか動画【 三角縁神獣鏡の 「神」と「獣」の像 】の巻「三角縁神獣鏡」の写真を見て、“神”と“獣”の像を探すのじゃ。ヒント“神”は人の姿をしている。“獣”は実際にはいない顔をしている前橋天神山古墳06

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