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6世紀4世紀Point1Point2Point3(小刀)などをかたどった滑石製のミニチュアなどが多数出土れきかくふくそうひんこがたなかっせきごうぞくはっくつまいそうまがたまいえがたおおくだたまとう すふんきゅうふきいしもっかんいえがたれきかく藤岡市白石1365 ほかMAP藤岡歴史館MAPP.65 D-3P.65 D-3 白石稲荷山古墳は、鮎川を東に見下ろす河岸段丘に沿って造られている。そのため、段丘の下から見ると実際以上に大きく見える。そして下の写真のように古墳の頂上からは、関東平野が一望できる。あゆ【 古墳全景(南東から) 】【 高床倉庫 】【 発掘当時の西の礫槨 】所在地関連施設何から米を守りたかったのかなぁ??しろ いし いなり やま こ ふん 藤岡市白石にある、5世紀初め(古墳時代中期)の大型前方後円墳。1933年(昭和8年)に最初の発掘調査が行われ、後円部の頂上から礫槨という埋葬施設が2つ発見された。副葬品としてまつりに使われた勾玉や管玉、刀子した。また、豪族の館を思わせる家形埴輪群も出土した。 1985〜86年(昭和60〜61年)の発掘調査により、墳丘長約155m、周囲の地形を整形した段を含めた長さが175m、前方部幅約80m、高さ6m、後円部径90m、高さ13.5mであることがわかった。墳丘上部の斜面には葺石(盛り土の崩れを防ぐため、その上を覆うように積み上げられた石)があり、中段の平らな面には埴輪列がめぐっていたことが判明した。方が良いのだろう。後円部の両端で平行につくられていた。【国】36旧石器時代縄文時代弥生時代古墳時代5世紀【 墳丘復元模式図 】平面図 ▶断面図 ▶飛鳥時代7世紀奈良時代【 出土品 (円筒埴輪) 】左から、高さ59.5cm、59cm、92cm約155m約175mえんとうか がん だんきゅう「見られる」を意識?家形埴輪 出土した家形埴輪は、豪族の家と高床倉庫の2種類。当時の住まいや生活がわかる貴重な資料だ。特に米を貯める倉庫は、地域の支配者にしか作れないので、権力の大きさを物語っている。2つの礫槨 礫槨とは、細長い竪穴に納めた木棺の周囲を川原石で覆った埋葬施設のことだ。 2つは後円部の東西の端で発見され、間が7.5mと離れていたため、中央にもう1つあるかと思われたのだが…なかった。動画考えてみよう!米を貯めておく倉庫はなぜ「高床」にしたのだろう?ヒント米を保存する時は、どんなことに注意した2つの礫槨に葬られた人物の関係を推理してみようヒント2つの長さは8.2mと5.3m、白石稲荷山古墳08

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