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Nふ女体山古墳だって野球場より大きいよ!6世紀4世紀Point1Point2Point3うち が しま120m、高さ16.8m。さらに二重の周堀を含めると、長さ355m、幅285mという広大な面積になる。平らな土地にふんきゅうしゅうぼりわた ら せP.67 B-4P.65 D-2 「これはもう山だ!」と言いたくなるほどの威容を誇る。とにかく大きいので、一度は見てみる価値がある。それにしても、奈良や大阪にはこれよりはるかに大きい古墳があるなんて…さすが! 古墳時代全体を通した大きさでは全国で28位だが、時期を細分して同時期の古墳で比べると、全国第2位になるという。「長持形石棺」の使用といい、当時の群馬の地位の高さを示している。 天神山古墳の隣に、同じ時期に、同じ向きで造られている女体山古墳。「帆立貝式」という珍しい形だが、全長106mと非常に大きい。この2つは夫婦の墓なのだろうか?それはまだナゾだ。にょたいさんい ようほ たてがいしき【 空から見た古墳 】所在地太田市内ヶ島町1606-1 ほか関連施設こじおお た てん じん やま こ ふん 太田市内ヶ島町にある、5世紀前半(古墳時代中期)に造られた前方後円墳。墳丘の全長は210mで、全国で第28位だ。ただし、当時の政権の中心だった奈良県と大阪府を除くと第3位、東日本では堂々第1位だ。(P.4参照)  墳丘は、前方部は幅126m、高さ12m、後円部は直径土を積み上げてこの巨大な古墳を造っており、大がかりな土木工事を行った当時の支配者の権力の大きさがうかがえる。3段に築かれた墳丘には渡良瀬川水系の石が葺かれていた。また、後円部に長持形石棺(P.8参照)があったようすはわかっているが、未調査のため詳細は不明である。意見を出し合おう。第4章 群馬の代表的な史跡 〜 繁栄した東国文化 〜37旧石器時代縄文時代弥生時代古墳時代5世紀MAP群馬県立歴史博物館MAP天神山古墳飛鳥時代7世紀奈良時代女体山古墳考えてみよう!関東地方の各都県で一番大きい古墳を比べてみようヒント東日本では飛び抜けたNo.1であることを確認しよう。もし、あなたがお金や権力をもったら、どんな形でそれを誇示するか考えてみようヒントみんなそれぞれが自由に考えて、大古墳に大興奮!実は全国第2位!?となりの古墳【 太田天神山古墳群配置図 】動画太田天神山古墳【国】09

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