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6世紀4世紀Point1Point2Point3きゅうふきいし 伊勢崎市安堀町にある5世紀前半(古墳時代中期)の前方後円墳。伊勢崎市内では最も大きな前方後円墳で、墳丘長は125mである。周りには幅の広い周堀があり、それを含めた長さは192mになる。墳丘は3段で築かれていて、葺石が施され、埴輪が並んでいたことがわかっている。 この古墳の最大の特徴は、「長持形石棺」があることだ。長短の石の板を組み合わせて箱のようにするもので、東日本では太田天神山古墳(P.37参照)のほか、千葉県でその可能性がある破片が2例見つかっているのみである。おお た てんじんやましゅうぼりながもちがたふんP.65 D-2ふん そうらんぐん が 伊勢崎市地域では、墳丘長100m以上の大型古墳はお富士山古墳だけだが、中小の古墳を合わせた数は群馬県内でも極めて多く、昭和初期の「上毛古墳総覧」では1,000基以上が確認されている。 7世紀後半頃から東山道が整備され、上植木本町周辺に「佐位郡衛(佐位郡の役所)」が置かれた。その跡である「史跡 上野国佐位郡正倉跡」では、文献に記されていた八角形の倉庫が全国で初めて発見された。き ないじょうもう こ あとかみうえ き ほんまちさ い【 全景(南から) 】【 空から見た古墳 】【 峰岸山古墳群の十二所古墳 】【 八角形倉庫跡 】所在地伊勢崎市安堀町P.64 C-4関連施設か、地図で見てみよう。この2つだけなんだ!ふ じ やま こ ふん【市】38旧石器時代縄文時代弥生時代古墳時代5世紀MAP群馬県立歴史博物館MAP飛鳥時代7世紀奈良時代【 墳丘実測図 】王家の石棺 「長持形石棺」は、畿内の大王級の古墳にのみ採用されている、最上ランクの石棺だ。全国で45例知られているが、現地に保存され全容が見られるのは、東日本ではこのお富士山古墳だけだ。伊勢崎市の古墳奈良時代の伊勢崎市動画考えてみよう!伊勢崎市周辺地域で大型古墳がお富士山古墳しかないのはなぜだろうか?ヒントP.6にあるような大型前方後円墳は、どの辺りに多い「王家の石棺」といわれる長持形石棺が太田天神山古墳とお富士山古墳にあるのはなぜだろうか?理由を考えてみようヒント間違いなく長持形石棺といえるのは、お富士山古墳10

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