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Point2さびついた甲冑の当時の姿とは?Point1「甲を着た古墳人」発見の衝撃4世紀甲冑 「甲を着た古墳人」の発見で注目を集める金井東裏遺跡せきぐんよろいかないしもしんでんはる なさんまいぼつめすうま榛名山の噴火に伴う火砕流によっかないひがしうらふんかともなかさいりゅうこ うまかないいはんしょく か のうかっちゅう渋川市金井1837 ほかMAP群馬県立博物館 ほかMAPP.64 B-2P.65 D-2おおしょうげきよろいこ ざねかぶとしょうかくつきかぶとつづ【 金井東裏遺跡(発掘時の甲を着た古墳人) 】所在地関連施設かな い い せき ぐんだが、この遺跡の南に、もうひとつの重要な遺跡がある。それが「金井下新田遺跡」であり、両者あわせて「金井遺跡群」と呼んでいる。 2 つの遺跡はともにて埋没しており、数々の貴重な発掘成果をあげている。 金井下新田遺跡でも数々の新発見が相次いだが、特に注目されるのは被災した「馬」の発見である。火砕流に襲われた馬が2 頭発見され、一頭は仔馬、もう一頭は繁殖可能な雌馬であった。とりわけ仔馬の発見は、この地で馬の繁殖飼育が行われていたことを証明する、とても貴重な発見となった。このことから、金井遺跡群の周辺で、馬の生産や飼育が行われていたことがわかる。第4章 群馬の代表的な史跡 〜 繁栄した東国文化 〜旧石器時代 この地域一帯は、黒井峯遺跡(P.48)と同様、榛名山噴火に伴う噴出物によって覆われていることから、当時の様子をリアルに伝える遺構や遺物が発掘されることは想定されていた。ところが、その時代を生きた人物がその姿を残したまま発見され、しかも甲を身につけていたので、非常に多くの研究者に衝撃を与えた。縄文時代弥生時代古墳時代 推定身長164cm の熟年前半(おおよそ40歳代前半)の男性である古墳人が身につけた甲冑を復元したところ、当時としては、国内で最高峰の甲冑であることがわかった。 甲は、1,800 枚もの小札という長方形の小さな鉄板を綴りあわせた「小札甲」であり、冑は、約5〜7枚の細長い鉄板と約800 枚の小札が使われた「衝角付冑」という冑であることが判明した。【 冑の復元図 】【 冑の復元図 】【 甲の復元図 】【 甲の復元図 】5世紀6世紀飛鳥時代7世紀奈良時代【 金井下新田遺跡(馬骨) 】【 金井下新田遺跡(馬骨) 】【 復元された甲冑 】【 復元された甲冑 】冑の冑の出土位置出土位置42動画金井遺跡群14

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