さぁ〜、どれだ?6世紀4世紀Point1Point2Point3ふた ご (全長85m、石室前から多量の土器)、小二子古墳(全長38たてもちた ちなんろくまいそううしろ ふた ごしょう ふた ごこうむあら とかすすい りしょうあくまえふた ご なか せん どうしょうかまよ み第4章 群馬の代表的な史跡 〜 繁栄した東国文化 〜前橋市西大室町二子山2659 ほかMAP大室公園MAPP.64 C-3P.64 C-3 幕末〜明治初期のイギリス人外交官。自ら「佐藤愛之助」と名乗るほどの親日家で、日本と日本人の理解に努めた。知識が広く、日本で初めての西洋科学的な学術調査を前二子古墳の出土品調査で行った。 前二子古墳は石室内の長い羨道(P.49 Point1参照)、後二子古墳は石室前の長い墓道が特徴。『古事記』には、イザナギが長い道を通って妻の遺体を“黄泉国”に置いてきたとある。これは横穴式石室のことか? 中二子古墳に立てられた埴輪の“土”を調べると、一部に藤岡産の埴輪があった。それはすべて精巧な形象埴輪だった。藤岡の埴輪窯から特別に運ばれたと考えられている。さ とうあい の すけしんにちぼ どうせいこうけい【 空から見た古墳群 】【 前二子古墳 】【 後二子古墳 】所在地関連施設小二子古墳後二子古墳中二子古墳おお むろ こ ふん ぐん 前橋市西大室町・東大室町にある古墳群。全体では10基以上の古墳が点在。主要な前方後円墳として、南から前二子古墳(全長94m、東日本で最古級の横穴式石室をもつ)、中二子古墳(全長111m、盾持人物埴輪が多数)、後二子古墳m、人・馬・家・大刀などの埴輪が多数)の4基が並び、6世紀前半〜後半(古墳時代後期)にかけて、この順で築かれた。 赤城山南麓一帯にはこれほどの大型古墳群はほかになく、まして6世紀前半といえば榛名山が2度の大噴火を起こし、県内全域が大きな被害を被った時期である。大室古墳群に埋葬されたのは、荒砥川や粕川の水利を掌握し、流域を広く支配した一族と考えられる。前二子古墳45旧石器時代縄文時代弥生時代古墳時代5世紀飛鳥時代7世紀奈良時代マメたてあなしきアーネスト・サトウ「黄泉の国」伝説埴輪の特別注文?【 竪穴式?横穴式? 】の巻 群馬県では6世紀の前半、ちょうど前二子古墳が造られた頃から、遺体の埋葬施設が「横穴式」に変わるんじゃ。それまでの「竪穴式」と比べて、どんな点に特徴があるのかのう?3択じゃ。❶ 古墳の頂上に作られることが多い。❷ 1つの石室に何人(何回)も埋葬できる。❸ 広々とした石室の空間が作れない。動画大室古墳群【国】16
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