6世紀4世紀Point1Point2Point3出土した副葬品と埴輪は全て国宝に決定したんだって!とうくつぼりた ち ほりごう かこんどうすずつきおおおびかぶとはっくつうちふんきゅうふくそうひんげんしつ高崎市綿貫町1572 ほか MAP群馬県立歴史博物館MAPP.65 D-2P.65 D-2どうせんせきあんざんがんおうりょう 石室は死者を葬る玄室と、通路の羨道に分かれる。全長12.6mの内、玄室は長さ8.1m、幅4m、高さ2.2mで県内一大きい。壁面は角閃石安山岩を非常に高度な技術で四角く加工し、積み上げている。 石室は、盗掘されて見つかることがほとんどだが、この古墳では、天井石が落下し、入口をふさいでいたことが幸いし、大量の副葬品がそっくり発見された。 2つ目の奇跡は、非常に質の高い副葬品が数多く出土したこと。中でも銅製の水差しは仏教の影響が見られ、中国山西省で似たものが出ている。銅鏡には、百済の武寧王陵で出土した鏡と同じ型で作った鏡がある。これらは、大陸との交流がこの地まで及んだことを物語る貴重な遺品である。ほうむかくせんさんせいぶねいくだら【 石室内 】【 石室内 】【 VRによる再現画像 】【 VRによる再現画像 】所在地関連施設わた ぬき かん のん やま こ ふん 高崎市綿貫町にある、6世紀後半(古墳時代後期)に築かれた大型前方後円墳。1968年(昭和43年)に発掘調査された。大きさは全長97m、前方部幅63m、高さ9.1m、後円部径61m、高さ9.6mで、二重の堀がめぐる。内堀の幅は約30mである。 特筆すべきは、①見事な石組みの横穴式石室 ②墳丘に並べられた埴輪群像 ③石室から出土した豪華な副葬品だ。副葬品は、財力を示す金銅鈴付大帯や金銅製の馬具、軍事力を示す装飾付大刀や鉄冑、政治力を示す銅鏡など、権力の大きさを示している。 墳丘や石室の復元整備が行われ、1981年(昭和56年)に県内初の史跡公園として公開された。ヒント盗掘を免れたため、副葬品が埋められたときのままになっていた。配置図を手に入れて、自分ならどうするか想像してみよう。第4章 群馬の代表的な史跡 〜 繁栄した東国文化 〜49旧石器時代縄文時代弥生時代古墳時代5世紀飛鳥時代7世紀奈良時代【 空から見た古墳 】玄室8.1m羨道県内一大きい「玄室」綿貫観音山古墳の奇跡1綿貫観音山古墳の奇跡2動画VR考えてみよう!石室内の副葬品の配置を分析し、どういう意図があったか、推理してみよう綿貫観音山古墳【国】21
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