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6世紀4世紀Point1Point2Point3や わた玄室羨道全長(石室)15.3mふんきゅう30種300点が出土している。せんどういし ぶ たいげんしつP.65 C-2 玄室と羨道を合わせた「石室」の大きさでは、この観音塚古墳が県内一大きい。玄室は長さ7.5m、幅3.5mで、特に天井の高さ2.8mがすごい!羨道は長さ7.8m、最大幅2m、最大高2.3mだ。 大型前方後円墳は、その豪族が中央政権とつながっていることを示すシンボルだったが、仏教の広がりで権威の象徴が古墳から大寺院に移っていった。どうわんふたたまわしょうちょうきゃくまいそうごうぞく けん い【 石室内 】【 VRで再現された石室入口 】【 空から見た古墳 】所在地高崎市八幡町1087P.65 C-2関連施設ぼくの体重は…例えてみて、重さを想像しよう。当時ありそうな道具を考えてみよう。や  わた 高崎市八幡町にある、6世紀末(古墳時代後期)の古墳。墳丘全長は105mで、大型前方後円墳としては群馬県では最後の時期のものだ。前方部の幅約105m、高さ14mに対して後円部は径70m、高さ12mと、前方部が非常に大きい。 1945年(昭和20年)に発見された横穴式石室は、玄室と羨道を合わせた全長が15.3mで、県内一大きい。その規模や、巨石を用いた石室の造り方が奈良県の石舞台古墳に似ているため『群馬の石舞台』とも呼ばれている。天井で最大の石は9畳分よりも広い面をもち、重さはなんと60トンと推定されている。石室内からは中央王権との結びつきを示す銅鏡、大陸文化の影響を受ける金銅製の馬具など約ヒント身近なもので「○○が何個分」などとヒントなんらかの“道具”を使わないと絶対無理!かん のん づか こ ふん【国】50旧石器時代縄文時代弥生時代古墳時代5世紀MAP高崎市観音塚考古資料館MAP飛鳥時代7世紀奈良時代県内一大きい「石室」大陸系副葬品 銅鋺と呼ばれる青銅器の器が4セットもあり、うち2セットは脚や蓋、受け皿まで付く高級品である。銅鏡は5世紀のものなので、埋葬された人の祖先が王から賜ったものを100年以上大事に受け継いでいたのだと思われる。最後の大型前方後円墳動画VR考えてみよう!60トンの重さを、他のもので例えてみよう60トンの石を、どこからどうやって運んで来たのか考えてみよう八幡観音塚古墳22

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