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6世紀4世紀Point1Point2Point3ふきいしぎょうようくつわあぶみぐんしゅうふんふんきゅうP.66 B-5 大型古墳は、6世紀末頃を境に前方後円墳から方墳へと変わり、数が減っていく。逆に直径10〜20mの小型円墳は引き続き盛んに造られ、周堀が重なり合うほど密集するので、「群集墳」と呼ばれる。 横穴式石室の形といえば、羨道から玄室まで一直線か、玄室幅がやや広くなるものが一般的だが、10号墳の石室は途中で直角に曲がる部屋がつく、県内で2例しかない非常に珍しい形をしている。 薄根川沿いの地域には群集墳が点在し、上流方面には、秋塚古墳群、天神古墳群、対岸の利根郡川場村側には生品古墳群が存在する。いずれも奈良古墳群と同様の小型円墳で、馬具の出土が非常に多い。うす ねづかせんどうあきてんじんなましなげんしつ【2号墳入口 】 【 奈良13号墳出土の馬具 】【 生品西浦遺跡B区1号墳 】所在地調べてみよう。な ら こ ふん ぐん 沼田市奈良町にある7世紀から8世紀初め(飛鳥時代)の古墳群で、かつては60基以上あったといわれる。残りの良いものは11基あり、それぞれに番号がついている。横穴式石室をもつ直径7〜20mほどの小さい円墳で構成される、墳丘には葺石は確認されたが埴輪はなかった。利根・沼田地域の特色として、出土品には杏葉や轡、鐙などの馬具が多く、この地域は馬の生産集団と関係が深いと考えられている。 関東地方の山間部の「群集墳」(Point1参照)の特徴をよく示している古墳群で、現存する数少ない群集墳のようすが、現地で確認できるという点が貴重である。【県】52旧石器時代縄文時代弥生時代【東平井古墳群(藤岡市)】古墳時代5世紀飛鳥時代7世紀奈良時代沼田市奈良町MAP【 全景 】群集墳 ―ひしめきあう古墳たち―不思議な形 字型石室周辺にも群集墳動画考えてみよう!7世紀になっても小円墳の群集墳が増えていったのはなぜだろう?理由を考えてみようヒント古墳のある場所や7世紀の社会のしくみなどを群集墳などの小円墳が自分の学校区に残っていないかを調べ、古墳時代にどのような場所だったのか、考えてみよう奈良古墳群24

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