実際に行って見ると、朱線がよく見えるよ!石室内や上空からの映像が見られるよ6世紀4世紀Point1Point2Point355参照)があり、それぞれの関係性が注目されている。はっくつふきいしそうじゃふんきゅうみなみしもてんのうきりいしきりくみづみ第4章 群馬の代表的な史跡 〜 繁栄した東国文化 〜P.64 B-3 奈良県で7世紀中頃以降に造られた八角形の古墳は6基で、すべて天皇か皇子の墓と限定されている。それらと同じ時期だとすれば、群馬県に正八角形墳が造られていることの意味は非常に重大である。南下古墳群 A号墳、E号墳の石室は、石材をまっすぐな四角形やL字形に加工した「截石切組積」である。特に珍しいのは、加工の際の目印にしたと思われる朱線が残っていたことだ。これは全国でも数例しかない。平成14年に復元整備 【 石室入口部 】【 墳丘内見学施設 】【 空から見た古墳 】所在地み つ や こ ふん 吉岡町大久保にある7世紀後半(飛鳥時代)と推定される八角形墳。八角形と推測される古墳は関東地方にいくつか存在するが、発掘調査によって内角135度の正八角形を示す唯一の古墳と確認された。対角間が23.8mで、墳丘の表面には葺石があった。現在は調査の成果をもとに外観が完全復元された。墳丘の内部は横穴式石室と土を硬く盛って墳丘を作ったようすが見学できる施設となっている。 同時期の古墳として、三津屋古墳の西方約1.5kmに南下古墳群(Point 2・3参照)が、南方約3kmには総社古墳群(P.54、53旧石器時代縄文時代弥生時代古墳時代5世紀飛鳥時代7世紀奈良時代【 南下E号墳石室入口 】【 南下E号墳石室内 】北群馬郡吉岡町大久保MAP八角形は天皇家の形南下古墳群 吉岡町南下にある6世紀後半〜7世紀末(古墳時代終末期〜飛鳥時代)の群集墳。かつては100基以上の古墳があったとされる。現在は6基が残るのみで、調査の際にA〜F号の名前がつけられた。截石切組積の技動画見てみよう!南下古墳群について、詳しく解説した動画を公開中!傷みにより石室の立ち入りを禁止しているから必見!三津屋古墳【県】25
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