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これって…けっこうむずかしいね〜6世紀4世紀Point1Point2Point3きりいしきりくみづみやまうしいけほりそうじゃふた ご やまそうじゃそめ や ほうふんとお み やまじゃけつざんおうあた ご やまごうぞくげんしつふくしつ前橋市総社町1606P.64 B-3MAP前橋市総社歴史資料館MAPP.64 B-3 群馬県中西部の終末期古墳の横穴式石室は「截石切組積」といって、石材を四角形やL字形に加工して組み合わせる高度な技術が特色。紙1枚入らないほど、ぴったりと精巧に作られている。 宝塔山古墳の石室は、羨道と玄室の間に前室を持つ珍しい複室構造。さらに珍しいのいえがたせっかんが玄室に安置された家形石棺の底部。「格狭間」という台の脚のようなくりぬきは、仏具と共通する。 宝塔山古墳と蛇穴山古墳の玄室の壁面には「漆喰」という白い塗料が塗られていた。懐中電灯でよく見るとその痕跡が残っている。奈良県の高松塚古墳のような絵が描かれていたのか?きりいしきりくみづみしっくいこんせきたかまつづか せんどうぜんしつこう ざ ま【 空から見た古墳(昭和58年撮影) 】【 石室入口 】【 家形石棺 】いえがたせっかん所在地関連施設ほう とう ざん こ  前橋市総社町にある、7世紀後半(飛鳥時代)に造られた一辺約60m、高さ約12mの大型方墳。すぐ東に蛇穴山古墳(P.55参照)がある。宝塔山古墳は、2009年(平成21年)の調査により、堀を含めると一辺96mに達する大規模な古墳であることがわかった。 この地域周辺の大型古墳は遠見山古墳(5世紀末)、王山古墳(6世紀初頭)、総社二子山古墳(6世紀後半)と前方後円墳が続いたのち、7世紀前半に方墳の愛宕山古墳が築かれ、宝塔山古墳、蛇穴山古墳へと続く。これらをひとまとめにして「総社古墳群」という。総社の豪族は牛池川・染谷川の流域一帯を支配したと考えられる。その3枚で、角が直角になるように四角形やL字形に切って組み合わせる。なるべく大きい長方形(正方形)に作り直す。宝塔山古墳 ふん【国】蛇穴山古墳54旧石器時代縄文時代弥生時代古墳時代5世紀飛鳥時代7世紀奈良時代高度な石材加工技術仏教文化の影響白く塗られた壁面動画考えてみよう!紙をL字型に切って組み合わせ、「截石切組積」技法の難しさを体感しようヒントまず1枚の紙を適当に3つに切る。宝塔山古墳26

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